投稿した人:谷本憲司/神戸 on July 05, 2003 at 08:03:22:
【見本はだれか】
見本はだれか。清濁併せ呑む人物の見本を知りたい、というのが私の希望だ。昔からよく分からん言葉だ。言葉として抽象的には、私も十分に理解しているつもりだ。
けれども、具体的な人物像ともなれば、よく分からない。私に対して、「清濁併せ呑めよ」というような忠告をしてくれた人も、これまでも何人かいたことはいたが、こんな言葉を吐く御仁が、清濁併せ呑む大人物に重なるかどうかと言えば、私の見方によれば、べつだん当てはまったためしは無い。ごく普通の人物である。
この間も、「ぼくは清濁併せ呑むことを信条にする」なんて、税理士仲間がいた。どういうことだ、と訊いた。この答えがよく分からない。「セイは清で、ダクは濁…」なんて、抽象的に解説しだした。
そんなことは分かっている。言葉としては私にも十分分かっている。でもね。具体的に詰めて考えると、「人物像」として浮かばないのだ。それが困るし、それが私の疑問なのだ。
その信条者にしても、私の実感ではべつだん普通の税理士さんだ。顧客の心配をするということを、「清濁併せ呑む」という信条で表現しているのだろう。顧客が悪事を働くときのニュアンスを言っているだ、と推測できる。なんだか変だぞ。税理士が「正義」で、依頼者が「悪事・悪行」だというのか。
私の着眼点とはまるで、違うようだ。私は日常はもっと無邪気だ。ことさら顧客が悪事をめぐらすかどうかなんて、常日頃はまるで忘れている。信頼関係とか個別契約には、そもそも法律違反なんて含むものでない。代理人が依頼者本人を信頼できなくて契約するということは、何を意味するのか。契約を前提にして、なお双方が信頼しないということで、「契約」するというのか。なんだ、それは。
けれども人間は、善悪にゆれ動く存在ではある。






